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最高裁判所第一小法廷 昭和35年(あ)1671号 判決

被告人 李良順

主文

原判決並びに第一審判決を破棄する。

被告人を免訴する。

理由

弁護人井関安治の上告趣意第一は、単なる法令違反の主張であり、同第二は、事実誤認の主張であり、同第三は、量刑不当の主張であつて、いずれも、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

しかし、職権をもつて調査すると、原判決の維持した第一審神戸家庭裁判所尼崎支部が昭和三十五年一月十八日本件につき言渡した判決の罪となるべき事実(本件公訴事実と同趣旨)は、被告人は、尼崎市戸の内長割七一五番地の一八の被告人住居及び同市戸の内字島開七八三番地の二〇の料理店明月こと李徳根方において児童であるS子(昭和二十年二月三日生)をして昭和三十四年七月九日頃より同年十月一日頃までの間金元万等不特定多数の男性と淫行をなすことを慫慂し因て多数回に亘る淫行をなさしめて児童に淫行をさせる行為をなしたものであるというのであつて、これに対し同判決は、児童福祉法六〇条一項の包括一罪として被告人を懲役四月に処したものであり、また、これより先昭和三十四年十二月二十五日神戸地方裁判所尼崎支部が別件につき言渡した判決の罪となるべき事実は、被告人は、前同番地の被告人方に、勝美こと林繁子を昭和三十四年二月十九日頃より、広子こと河本広子を同年二月中頃より、京子こと岡野かず子を同年六月三十日頃より、節子こと飯田光子を同年九月十日頃より、まり子こと喜三チチイを同年六月初頃より、まき子こと笹倉槇子を同年十月二日より、いずれも同年十一月九日に至る間居住させ、同女らをして前記各期間同所及び前記料理店明月こと李徳根方において、大久保次夫外多数の遊客を相手に売春させ、もつて売春をさせることを業としたものであるというのであつて、これに対し同判決は、これを包括一罪として売春防止法一二条を適用し被告人を懲役十月及び罰金五万円に処し、ただし一年間右懲役刑の執行を猶予する旨言い渡し、該判決は昭和三十五年一月九日確定したものであることが明白である。そして、前の判決の罪となるべき事実(本件公訴事実と同趣旨)と、後の判決の罪となるべき事実とを比較して考えて見ると、その犯罪事実は、婦女の年齢を異にするだけであつて、その実質は、すべて、被告人が、婦女をして対価を得て不特定の男性と性交せしめる行為をなしたことを内容とし、その犯行の期間は重複しており、犯行の場所も同一であるから、児童福祉法六〇条一項の罪と売春防止法一二条の罪との法益の差異から見て、被告人の所為は、一個の行為にして数個の罪名に触れるものと解するを相当とする。果たして然らば、後の犯罪につき確定判決があるのに、さらに前の犯罪につき本件判決をすることは、いわゆる確定判決を経たときに当る場合であつて、原判決並びにその維持した第一審判決には刑訴四一一条一号の事由があつて、これを破棄しなければ著しく正義に反するものといわなければならない。

よつて、同法条により主文第一項のとおり原判決並びに第一審判決を破棄し、刑訴四一三条但書に従い、刑訴四一四条、四〇四条、三三七条一号により主文第二項のとおり判決すべきものとする。

この判決は、裁判官の全員一致の意見によるものである。

(裁判長裁判官 斎藤悠輔 裁判官 入江俊郎 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 高木常七)

弁護人井関安治の上告趣意

原判決は左記の理由により判決に影響を及ぼすべき法令の違反及重大な事実の誤認があり刑の量定が甚しく不当であつて原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

第一、原判決は既に確定判決を受けたる事実に付き再度審理科刑したものであつて此の点に於いて判決に影響を及ぼすべき法令の違反がある。

被告人は昭和三十四年十二月二十五日神戸地方裁判所に於いて売春法違反により有罪の判決を受け、該判決は昭和三十五年一月四日確定した。(判決謄本追送)被告人に対する売春防止法違反の右有罪判決に於いて右裁判所は「被告人は昭和三十四年二月中頃より同年十一月九日迄勝美こと林繁子外五名の婦女を尼崎市戸の内長割七一五の一八の被告人方に居住せしめ、其の間同女等をして同所及び尼崎市戸の内字島開七八三の二〇料理屋明月こと李徳根方において不特定多数の遊客に売春させ以つて売春をなす事を業としたものである」との事実を認定し、売春防止法第十二条を適用したが該事実は営利的意思傾向に基づく営利的集合犯で単一犯罪であつて、其の間に於いて被告人が婦女を自己の占有し若しくは管理する場所又は自己の指定する場所に居住させ、これに売春させたる行為は全部右認定にかかる被告人が売春をさせる事を業としたる同法第十二条違反の単一犯罪の中に包含されるものである。

従つて本件児童福祉法違反の事実は「被告人は昭和三十四年七月九日頃より同年十月一日頃迄の間児童であるS子を前記被告人方に居住せしめ、其の間同女をして同所及前記李徳根方に於いて不特定多数の遊客に売春させた」と謂うにあつて、該事実は被告人が前記の如く林繁子外五名の婦女を前記被告人方に居住せしめ同女等をして同所及前記李徳根方に於いて売春させ以つて売春を為す事を業とした営利的集合犯の中に包含され、単一一罪を為すものであるから、既に昭和三十四年十二月二十五日神戸地方裁判所尼崎支部において言渡した売春法違反の有罪判決の事実中に包含され該有罪判決は昭和三十五年一月四日確定した故、被告人は原判決認定の事実については既に確定判決を受けて居る。

然るに原判決が既に確定判決を経たる本件原審認定事実を再度審理し、被告人に有罪の判決をした事は一時不再理の原則に反し違法であつて之を破棄し、刑事訴訟法第三三七条により判決で免訴の言渡を為すべきものである。

第二、仮りに原判決は確定判決を経たる事実と別箇の事実と認定せりとするも被告人が児童であるS子の年令を知らない事について過失無く同女に淫行をなす事を慫慂したる事実無きに拘らず、原判決が被告人に対し有罪の判決をしたのは判決に影響を及ぼすべき重大なる事実の誤認があり、之を破毀し無罪の言渡を為すべきものである。

(一) 即はちS子の年令については司法警察職員に対しS子は「私が働く様に決つた時明月のマスターが私に年何歳ですかと言うので、私は二十歳で昭和十五年二月三日生ですと言つて居ります」旨同女の売春の相手方である金元満は「S子は他の女の娘と違い若く見へ本人は十九歳とか私に言つて居りました」旨S子を被告人方に連れ行き、紹介せる細田清子は「ママさんはSちやんに名前や年を聞いて居りました。名前はS子年は十九歳と言つて居りました。Sちやんの本当の年齢については只今警察で昭和二十年二月三日生の十四才である事を聞かされる迄知りませんでした。私は十九歳だと思つて居りました」旨被告人は「私が二階の勝ちやんの部屋に上つてみますと見知ぬ娘が二人座つていました。そこで勝ちやんに聞きました処働き度いと云うのは二十一、二歳に見えるハデな化粧をした方の娘でした。そこで其の子に水商売の経験があるかと聞きますと其の子は年は二十一歳とか言つて居り、実家は大阪府の八尾市だと申して居りました」「Sちやんが明月の女給として雇い入れる話が決るとマスターから直接Sちやんに住所や名前や年齢を聞いて居りました。Sちやんの住所は大阪府八尾市、名前はS子、年令は昭和十五年生れの二十一歳と云う事を自分から言つて居り、其の時私は初めてSちやんの名前を知りました。前回にも申し上げた通りSちやんは体も顔もませ(早熟の意)ていて二十歳前后か、それ以上に見へましたので私もSちやんの云う年齢が本当だろうと思つて信用しました」旨各供述し、第一審公判に於いて被告人の夫である崔圭鶴は「S子には雇はれた時から会つて知つて居る会つた時の年齢についての印象は二十歳から二十二、三歳位に見へました。私はもともと特飲店をしていた関係で若い女の子の年齢は大体見当がつきます。顔形体付き衣裳の着こなし態度から見て二十歳から二十二、三歳位に見へました。従業員名簿を管内派出所に提出するのにS子の年を聞いたところ十九歳だと言つて居りました」旨証言し居り、被告人S子は被告人方に来る以前バーの女給として働き既に性交の経験ある早熟者で昭和十五年生の二十一歳と自称し、其の態度、容貌等より紹介者細田清子及被告人の夫もS子は十九歳以上と信じていたのであるから、被告人が同女を十九歳以上と信じた事については何等過失は存し無い。

(二) 次に被告人は第一審公判の事実の認否に於いてS子に対し、淫行を慫慂した事実は無い旨弁疏せるのみならず、S子は司法警察職員に対し「セツトに上つて呉れた客と肉体関係はしますが、其の事についてママさんはそんな事をしたらあかんとか、せよと言う事を言はずただ私はセツトに上つて呉れたらよいと言つて肉体関係をするしないは女の子の自由です。山住にいる間仲居のおばちやん、姉ちやんからざつと十五回泊り客を引いて貰いました」旨供述し居り、同女が自己の収入を得んがため進んで本件売春を為したるものであつて被告人が同女に淫行を慫慂したる事実は認められ無い。

仍つて被告人に対し無罪の言渡を為すべきに拘らず、原判決が有罪の判決をしたのは判決に影響を及ぼすべき重大なる事実の誤認がある。

第三、仮りに原判決は確定判決を得たる事実と別箇の事実を認定し、且該事実は有罪なりとするも被告人の本件所為は殆んど過失無く、且被告人は児童福祉法違反の前科あるも其の執行猶予期間満了し居るに拘らず原判決が本件所為は執行猶予期間中の犯行なりとして被告人に対し刑の執行を猶予しなかつた事は刑の量定甚しく不当でこれを破棄し被告人に対し執行猶予の言渡をなすべきものである。

即はち被告人がS子の年齢を知らざる事に付き過失ありとするも前記の如く其の年齢を知らざる事については同女の不良早熟と其のきはめて巧妙なる欺罔行為とに因るもので被告人に責むべき点は無い。

被告人は昭和三十一年十月十六日神戸家庭裁判所に於いて児童福祉法違反により懲役三月、但し二年間執行猶予、保護観察に付する旨の判決を受け同月三十一日該判決は確定したが右執行猶予期間は昭和三十三年十月三十一日満了し居り、本件犯行は其の執行猶予期間満了后の犯行である。

加之本件犯行中料理店明月こと李徳根方に於ける事実は経営者李徳根が計画実行せるもので被告人は単に其の雇はれマダムとして同人の命を拒む事を得ず、其の指示のままに動いたものでS子に対して売春淫行を進めた事実無く、被告人方に於ける事実は夫崔圭鶴の計画実行せるもので被告人は其の手助けをしたに過ぎず、S子に対し夫に雇はれたる仲居等が遊客を斡旋したる事ありとするも被告人が遊客を斡旋して同女に淫行を為さしめた事は無く犯情軽微である。

更に被告人は夫及長男崔倉植九歳、長女崔永子五歳、次男崔仁大五歳と共に北鮮に帰還する事に決定し、本件犯行の場所であり被告人の住居である自宅を売却し旅館営業を廃業し、知人方に一家寄寓し、北鮮帰還の日を一日千秋の思いで待ち居る状態で再犯の虞れは毫も無く、今若し実刑を受ければ北鮮帰還は不能と成り一家は生活の途無く窮死するやも知れず、罪九族にまで及ぶこととなり人情見るに忍び無い。

斯る被告人に対し其の刑を執行猶予することこそ刑法第二五条を設けたる立法趣旨に副うものである。

叙上理由により原判決を破棄し被告人に対し免訴の判決を賜はり度い。

若し免訴の判決得られずとせば無罪の判決を賜はり度い。

無罪の判決無き時は刑執行猶予の御恩典を賜はり度い。

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